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移住・定住先輩インタビューvol.12
【なぎな海・島】で暮らす 早川さんファミリー
早川 秀樹さん/早川 幸江さん (息子3人) 【(妻・子)平成25年(夫)平成27年に移住】
移住のきっかけを教えてください
秀樹さん)
きっかけは平成23年に起きた、東日本大震災です。
当時、私たち家族は千葉県の浦安市で暮らしていました。
あまり知られていないかもしれませんが、浦安市も震災の影響は深刻でした。
液状化が起こり、道路からマンホールが飛び出すなど、いろいろと大変な状況でした。
それからは、妻と移住に関して真剣に話し合うことが増え、簡単な決断ではありませんでしたが、移住を決意しました。
廿日市市を選んだ理由を教えてください
秀樹さん)
できれば、知り合いがいる場所が良いと考えていました。
実は、私の祖父は大正時代から宮島でもみじ饅頭の製造販売をしていました。
祖父が体調を崩し、もみじ饅頭屋としての店舗は30年以上前に閉店。おじいちゃん子だった私は、幼い頃に度々宮島を訪れ、もみじ饅頭の話をよく聞かせてもらっていました。
そんな私にとって縁の深い宮島がある廿日市市で、地域支援員の募集があることを知った妻は、すぐに応募し見事に合格しました。それが決め手となり、私たち家族は廿日市市で暮らすことを決めました。
妻の地域支援員の仕事が平成25年9月から始まるということで、まずは妻だけが廿日市市での生活をスタート。その後すぐに子どもたちも廿日市市に移り住みました。
ただ、私は当時小学校の教員をしており、広島県の教員の採用試験が終わっていた時期でした。そのため、翌年の採用試験を受験し、広島県の学校に勤めるまでの約1年半の間は、浦安市で一人で暮らしていました。
現在の「暮らし」・「仕事」に関して教えてください
幸江さん)
今は、JR宮島口駅から少し距離があるところで暮らしています。
スーパーや郵便局、銀行、病院など、生活に必要な施設がすぐ近くにあるのでとても便利です。
また、JRやバスなどの便数も十分にありますし、広島市へも車で約30分なので、特に不便は感じていないです。
海も山も近いので、魚釣りや潮干狩り、海水浴やスノーボードなど、子どもが遊べるスポットがたくさんあることも、ここで暮らす魅力だと思います。
秀樹さん)
仕事は現在、学校の教員を辞め、妻と共に「勝谷菓子パン舗」というコッペパン屋を営んでいます。
教員の仕事が大好きだった私が、まさか教員を辞めるなんて全く考えていませんでした。
きっかけは、宮島で暮らす祖父の体調の悪化でした。
私がこちらで暮らし始めて2年目を迎えた頃、祖父の体調が悪化。その姿を目の当たりにしたとき、宮島の「勝谷」の歴史が終わってしまう気がして、「祖父のやっていたことを残したい。もう一度『勝谷』の名を世に出したい。」と強く考えるようになりました。
いろいろと悩みましたが、最終的には、妻の「人生一度きり、やりたいことをやれば良いんじゃない。」という言葉が私の背中を押してくれました。
妻も最近「リラクゼーションサロン」を始めたりと、私以上に好きなことをしているのかもしれませんが(笑)
【祖父と秀樹さん】
幸江さん)
現在のお店は、かつて主人の祖父が「勝谷菓子舗」を営んでいた場所で、平成30年4月にオープンしました。
大正時代から受け継がれている秘伝の餡のレシピを生かしたこしあんは、ふんわりと焼き上げたコッペパンとよく合います。
その他にも、おいしい食材を厳選してサンドしたコッペパンを、常時25種類以上用意しています。
種類が多いので、どれにしようか悩むと思いますが、それも楽しみ方の一つだと思います(笑)
秀樹さん)
イベントへの出店や出張販売先で、祖父の営んでいた「勝谷菓子舗」をご存じのお客様から声を掛けていただけたときは、とてもうれしいですね。
移住を考えている人へのメッセージ
幸江さん)
私たち家族が暮らしている廿日市市(大野地域)の魅力を一言で表すと“ちょうどいい”だと思います。
程よい街で暮らしながらも、海を感じ、山を感じながら暮らすことができます。
仕事も趣味も充実できる場所だとすごく感じています。
田舎暮らしに憧れている人でも、すぐに田舎に行くのではなく、まずはここを拠点にして、海の生活や山の生活に触れてみるのもオススメです。
秀樹さん)
私は今、やりたいことがたくさんあるんです。想像するとワクワクすることもあります。
そんなワクワクした背中を、子どもたちに見せるのは、大人の役目だとも思っています。
廿日市市は、何もかもがそろっている都会ではないからこそ、まだまだできることがあるまちだと私は感じています。
私もこれから、もっと楽しいことを形にしていきたいです。