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大野市民センター

印刷用ページを表示する掲載日:2016年4月1日更新

 大野市民センターは、昭和49年9月に開館しました。

昭和49年新築当時の大野市民センター
新築当時の大野市民センター

 大野市民センターの住所(字)は、「筏津」は「いかなづ」と読みます。
 古くは「いかだつ」といったそうです。
 筏が出入りするためにこの名前がついたそうですが、1906年(明治39年)の耕地整理の際に木材が出土したことが、これを裏付けています。

 昔の国道や往還は、山際にあります。また橋本新開の「新開」は、新しく開かれた=開墾された土地という意味です。
 現在は海から少し離れていますが、昔の海岸線はもっと山側に近く、筏津は深い入り江だった...という説も、頷けます。

地域の変遷

新石器時代
 高畑、更地鎌首、高見襄ケ嶽、丸石に人が住みはじめる

大和時代
 日本武尊が連れ帰った蝦夷人を住まわせた...佐伯部(さえきべ)

飛鳥時代
大頭神社建立

平安時代
 菅原道真が大宰府に配流される途中、梅原に寄る(伝承)

927年頃
 唹濃駅(おおのえき)設置(「延喜武」から)

室町時代
 厳島合戦の戦死者を、毛利元就が鯛山(千人塚)に葬る

桃山時代
 任助親王、厳島で死去。大野赤崎御室山に葬られる
 延命寺の伽藍造営、寺号を万年山延命寺と定める

江戸時代
 僧教順護安寺を再興、真言宗から真宗(浄土真宗)へ改宗、寺号を西教寺に改める
 西国街道の街道・宿駅施設が整備される

1651年
 深江に塩田が築かれる

1866年
 大野四十八坂の戦(長州征伐)

 【参考資料】広島県大野町誌 大野町郷土史編さん委員会編 1962.