けん玉発祥100周年
けん玉発祥100周年
けん玉発祥100周年
大正10年(1921年)に廿日市市でけん玉(日月ボール)の製造が開始され、今年(2021年)で100周年を迎えます。
その節目を記念し、さまざまな催物やイベントを企画・実施していく予定です。
催物やイベントは、こちら(外部リンク)(外部リンク)からご確認ください。
「けん玉」と廿日市市
現在のけん玉のもとになっている「日月ボール」は、大正7年10月1日に江草濱次氏が、明治期のけん玉を改良・考案し、大正8年5月14日に実用考案として登録されました。(それまでのけん玉は、棒と玉だけであり、そこに受皿などを取り入れたものが「日月ボール」として考案されました。)
その江草氏が「日月ボール」の製造地として選んだのが、「廿日市市」でした。廿日市市は、古くから木材の集積地として栄え、江戸時代、木工業は傘用ロクロなどのロクロ細工を中心に発展しました。明治期には、ロクロ細工による多くの木工玩具を製造しており、そのロクロ細工の技術の高さが江草氏が「廿日市市」を選んだ理由なのではないかと言われています。
大正10年(1921年)に江草氏は、廿日市市の本郷木工(現:株式会社本郷)を訪れ、本郷東平氏にけん玉製造を依頼し、そこから、廿日市市でのけん玉製造が開始されたと言われています。
そして、大正13年には動力の普及により、生産性が向上し、昭和4年にかけて、日本国内で大流行したと言われています。
それから何度か流行をしましたが、テレビゲームなど子どもが遊べる玩具の種類が増加していき、少しずつ廿日市市でけん玉を製造する業者も減少していき、平成10年には最後の一社も製造を中止しました。
しかし、平成13年には木材利用センターで製造が再開され、現在では廿日市市で2社がけん玉の製造をしています。
また、現在、けん玉は「けん玉ワールドカップ」をはじめ、世界的に普及されており、その熱気は高まってきています。2020年の「けん玉ワールドカップ」はオンラインでの開催となりましたが、2019年の大会では、国内選手369人、海外選手88人の合計457人が参加し、廿日市市に多くのパフォーマーが訪れました。